DEAD END

#2 『信一郎の歌』

○面接控え室(昼)

         閑散とした室内。
         ホワイトボードに『劇団××オーディション・控え室』と書かれた紙が張ってある。
         長机の前に椅子が三つ並んでおり、そこに、携帯の画面から目を離さないブレザー姿の女
         子高生アカネ(17)と、ぶ厚い本に見入っている小学生マサキ(11)が座っている。
         部屋の扉が開き、スーツ姿の男信一郎(44)が入ってくる。
         アカネの隣の空いた席に座る信一郎。
信一郎「や、どうも。最初部屋を間違えちゃったよ」
         二人に笑いかける信一郎。
信一郎「なんか変なおばさんに睨まれちゃってね」
         顔も向けず無言の二人。
         ジャージ姿の劇団員が扉から顔を出す。
劇団員「全員揃ったようなので、これからオーディションを始めます。受付順に隣の部屋に入ってください」
         無言で立ち上がり、本を抱えて部屋を出て行くマサキ。
         沈黙が降りる室内。
         隣のアカネを見る信一郎。
信一郎「君、高校生?」
         無言のアカネ。
         笑いかける信一郎。
信一郎「いくら年齢制限なしとはいえ、僕みたいなのは場違いかなあ?」
         ため息をつきながら携帯をしまい、傍らの紙袋から瓦を取り出すアカネ。
信一郎「それ、どうするの?」
アカネ「…割るの」
信一郎「割るんだ!?すごいね!僕も見たいな」
         瓦を一枚手に取り、表面を見ながら何かを確かめるアカネ。
         横から覗き込む信一郎。
         瓦の表面に薄くヒビが入っている。
信一郎「…なるほど。考えたね」
         笑う信一郎。
信一郎「インチキでも面接官を騙せれば演技は合格というわけだね」
         横目で信一郎を睨むアカネ。
         気にした様子もなく話を続ける信一郎。
信一郎「ところで、今日は平日だろ?こんなところにいていいのかい?」
         無言のアカネ。
信一郎「ま、学校に行くだけが人生ってわけでもないけどね。わたしも昔は…」
アカネ「…あんたこそ、こんなとこにいていいわけ?」
         信一郎の言葉を遮るアカネ。
         微笑む信一郎。
信一郎「辞めてきたよ。ここへ来る前にね」
         胸を張って答える信一郎。
         信一郎を見るアカネ。
アカネ「…あたしも辞めるの。今度」
         視線を逸らすアカネ。
信一郎「へぇ、演劇のためにかい?」
         ため息をつくアカネ。
アカネ「あんたには関係ないでしょ」
信一郎「まあね。しかしここでこうして居合わせたのも何かの縁だ」
アカネ「…そう言うあんたは?会社を辞めてまで演劇?」
信一郎「…まあ、色々あってね」
         遠い目をする信一郎。
信一郎「…娘がね、好きだったんだよ。演劇。よく女優になりたいって言ってたもんだ」
         訝しげな顔をするアカネ。
アカネ「…だった?」
         アカネをしげしげと見る信一郎。
信一郎「ああ。生きていれば君くらいかな…」
         寂しげな表情の信一郎。
         目を逸らすアカネ。
アカネ「…そう」
         突然ニッと笑う信一郎。
信一郎「…なんてね」
         アカネ、信一郎を見る。
         してやったり、という表情の信一郎。
アカネ「…信じらんない」
信一郎「ははは、ま、遠いところにいるのは本当だよ。演劇が好きだったのもね」
         笑いをかみ殺している信一郎。
         信一郎を睨むアカネ。
信一郎「ま、そう怖い顔ばかりしなさんな。折角の美人が台無しだ。ほんのジョークだよ」
         ため息をつくアカネ。
         カバンからアメ玉の袋を取り出して、ひとつ口に含む信一郎。
         アカネのほうに袋を差し出す。
信一郎「君もひとつどうだい?」
アカネ「いらない」
信一郎「これ、喉にいいんだよ?わたしも昔バンドをやってたときによくお世話になったもんさ」
         無視して答えないアカネ。
         構わず続ける信一郎。
信一郎「こう見えてもね、わたしのバンドは結構売れたんだよ?知らないかなあ、『狂い咲きウルフ』ってバ
     ンド」
アカネ「知らないしダサい」
信一郎「君が生まれる前はそういうのが流行ってたのさ。オリコンで一位になったこともある」
アカネ「どうせそれも嘘なんでしょ」
信一郎「まあね」
         信一郎を睨むアカネ。
         笑う信一郎。
アカネ「…信じらんない」
         ふと、真顔になる信一郎。
信一郎「ところで、余計なお世話かもしれないが、学校にはちゃんと行ったほうがいいんじゃないかな?」
アカネ「余計なお世話」
信一郎「自分の道を決めるのは学校を出た後でも遅くはないと思うがね」
アカネ「あんたみたいなのに説教されたくない」
         笑う信一郎。
信一郎「うはは、まあね。しかし、君のご両親も心配してるんじゃないのかな?」
アカネ「…あんなの親じゃない。自分たちの離婚のことで精一杯よ」
         黙りこむ信一郎。
         信一郎を睨むアカネ。
アカネ「あんたたちみたいな勝手な大人のせいで苦しむ人間がいるってこと、わかんないの?」
         寂しげに笑う信一郎。
信一郎「…そうだな。まったくその通りだ」
         目を逸らすアカネ。
         沈黙が降りる室内。
         扉が開き、本を抱えたマサキが入ってくる。
         扉から顔を出す劇団員。
劇団員「次の方どうぞー」
         無言で立ち上がり、瓦を持って出て行くアカネ。
         入れ替わりに席に着くマサキ。
         マサキにアメ玉の袋を差し出す信一郎。
信一郎「お疲れ様。君もひとつどうだい?」
         黙って首を振るマサキ。
信一郎「やれやれ、人気ないなあ、これ」
         包みを解いてアメを口に放る信一郎。
信一郎「ところで、君は面接で何をやったんだい?」
         本を開くマサキ。
マサキ「…本を読みました」
信一郎「朗読かい?」
マサキ「全部暗記しました」
信一郎「全部覚えたの、それ?」
         頷くマサキ。
信一郎「いやあ、すごいな!たいしたもんだ。それなら学校の成績もさぞかしいいんだろうね」
         俯くマサキ。
マサキ「…学校には行ってないです」
         微笑む信一郎。
信一郎「へぇ、それなら私と同じだ」
         信一郎を見るマサキ。
信一郎「わたしもしばらく会社を休んでいてね。今日辞めてきちゃったよ」
         マサキに笑いかける信一郎。
         無表情のマサキ。
信一郎「わたしはあまりいいお父さんじゃなくてね。お母さんと娘が出ていっちゃったんだ」
マサキ「…お父さんいないからよく分からないです」
         マサキを見て、何か言いかける信一郎。
         そのとき、隣の部屋からアカネの掛け声と瓦の割れる音が響いてくる。
         隣の部屋の方を見る二人。
信一郎「うはは、本当に割ったよ、あの娘!」
         大笑いする信一郎。
         信一郎を見るマサキ。
信一郎「いやあ大したもんだ。うん」
         笑いながらマサキを見る信一郎。
         本に目を戻す正樹。
信一郎「あの娘も学校辞めるって言ってたなあ」
マサキ「…なんで?」
信一郎「ま、人それぞれ事情があるのさ。君は何で学校行かないんだい?」
         無言のマサキ。
信一郎「…ま、人それぞれ事情があるわな。奇しくも自由な三人がここに集まったってわけだ」
         マサキに笑いかける信一郎。
マサキ「…全然自由じゃないです」
信一郎「それはアレだ、物事の捉え方次第という奴さ」
         大仰な仕草で語りだす信一郎。
信一郎「自由になった人間が何故演劇をするのか。人間という奴はみな、普段から世間のしがらみの中で
     自分という役を演じながら生きているからさ」
         アメ玉の袋を自分の顔にかざす信一郎。
信一郎「そこから抜け出たものだけが、舞台の上の役という仮面を取り替えながら常に新しい自分を創造
     できるのさ」
マサキ「よくわかんないです」
         仏頂面のマサキ。
信一郎「ま、言ってるわたしにもよくわからないがね」
         笑う信一郎。
信一郎「で、君は何で演劇をやろうと思ったんだい?」
マサキ「…カウンセラーの人が行ってみろって…」
信一郎「へえ。そうなんだ。僕の娘も演劇をやってたんだが、君と同じように学校に行けなくなってね」
信一郎を見るマサキ。
信一郎「よく知らなかったんだが、原因は本当に些細なことだったりするらしいね」
         俯くマサキ。
マサキ「…僕のお父さんは、事故で人を死なせたんです」
         マサキを見る信一郎。
マサキ「でも、僕は知らなくて」
         泣きそうな顔のマサキ。
マサキ「それで…コウジの奴が…」
         ぎゅっと手を握るマサキ。
信一郎「一度や二度の間違いは許してあげなくちゃ駄目だ」
マサキ「…親友だと思ってたのに…」
信一郎「…わかり合えたと思っていても、人間、結局はひとりぼっちさ」
         遠い目をする信一郎。
信一郎「でもね、わたしはその壁を越えて他人の心に届くものが、この世には存在すると思っているよ」
         マサキを見る信一郎。
         信一郎を見るマサキ。
信一郎「例えば…歌とかね」
         にっこりと笑い、マサキにアメ玉の袋を差し出す信一郎。
         おずおずとアメ玉をひとつ受け取るマサキ。
         扉が開き、アカネが入ってくる。
劇団員「次の方どうぞー」
         立ち上がる信一郎。
信一郎「さて、と。わたしも行ってくるよ」
         スーツの上着を脱ぐ信一郎。
信一郎「わたしにはあまり特技がないがね。君たちに最高の歌を聞かせてあげよう」
         アカネにウインクし、アメ玉の袋を渡す信一郎。
         袋を受け取るアカネ。
         部屋を出て行く信一郎。
         席につくアカネ。
         沈黙が降りる室内。
         傾いた陽の光がブラインドの隙間から差し込む。
         やがて、隣の部屋から酷いだみ声のシャウトが聴こえてくる。
         呆れてぽかんとしているアカネ。
         アカネの隣から押し殺した笑い声が漏れる。
         マサキを見るアカネ。
         アメ玉を口に含み、笑っているマサキ。
         つられて笑うアカネ。
         室内に二人の笑い声が響く。
         


《裏本》

アカネ:17歳女子高生。勉強、運動共にそれなり以上にこなす優等生だが、なにぶんこのつっけんどんな性格のため、あまり親しい友人はいない。幼い頃から不在がちな両親に代わって祖母の家で育てられたため、実はかなりのおばあちゃん子。面接の前に携帯でメールしていたのも祖母である。両親の不仲について、前々から色々と相談していた。アカネの祖母は結構先鋭的な人柄で、携帯もメールも使いこなすコンピューターおばあちゃん。若かりし頃は舞台女優をやっており、その影響でアカネもまったく未知の分野だった演劇の面接を受けようと決心した。しかしアカネ本人は演劇のえの字も知らない素人なので、「特技を披露してください」との面接内容に瓦割りというエキセントリックな方法を用いたりしたようだ。実は祖母ともども極度の猫好き。

マサキ:11歳小学生。トラック運転手だった父親は、マサキが3歳の頃に事故を起こし服役。現在は別居中。マサキ本人は父親は死んだものと聞かされていた。小学校では親友もいたが、彼と些細なことで言い合いになったときに事実を聞かされ、それ以来ショックで登校拒否に。母親に連れて行かれたカウンセリングで記憶力を活かせる演劇を提案され、カウンセラーの友人でもある座長が主催する劇団のオーディションに参加した。カウンセラーと座長とマサキの間でも色々と話があるが、それはまた別の話。

信一郎:44歳サラリーマン改め無職。若い頃にバンドをやっていたのは事実で、オリコン云々はもちろん嘘だが、インディーズでは結構いい線までいっていたらしい。バンドブームの終焉と共に『狂い咲きウルフ』も解散。ちなみにこのネーミングは当時ギターをやっていた信一郎本人だが、周囲の受けはいまいちだった。その後食品系の大手企業に就職し、当時バンドでドラムをやっていた妻と結婚するが、娘がマサキ同様登校拒否になり、会社でのストレスと相まって妻子とは別居。2人は現在妻の実家がある北海道に住んでいる。色々と思うところもあったのか、結局会社を辞め、娘がやっていた演劇にチャレンジしてみようとして今回の面接に。つかみ所のない性格は本来のものだが、会社という重荷が外れたことによるナチュラルハイも加わっていたものと思われる。件のアメは、本当に喉にいいかどうかは不明だが、バンド時代に本番前に舐めていたのは事実で、本人にとっては効能云々よりジンクス的な部分が強かった。現在では売っている店も少なく、貧乏学生時代によく万引きをしていた近所の駄菓子屋で何食わぬ顔をして買っている。ちなみに、娘が生まれたときにこのアメを使って禁煙に成功したらしい。学生時代は哲学を専攻しており、作中で哲学的な表現が出るのはそのときの名残。

劇団員:23歳劇団の下っ端。男。常にジャージ姿。大学生だが演劇にのめり込みすぎて2留中。あきれ果てた両親の仕送りも打ち切られ、牛丼屋でバイトしながら演劇をしている。いつかは自分の劇団を旗揚げしたいと思い脚本を書いたりしているが、今ひとつ飽きっぽく最後まで書けたためしがない。劇団内のあだ名は「ジャージ君」。アカネに一目惚れし、彼女が合格すればいいのに、とか思ったりしていることは内緒だ。