LIFE LIKE BLUE

Diary Log-2005-07

7月28日




山ちゃん


Royksoppの『ジ・アンダースタンディング』を購入。いいね、これ。フジロックに来るらしいんだけど、もちろん観に行くような金も時間も無し。

NATALIEのデビューアルバムも購入。R&Bのど真ん中なんですが、まさか自分がこういう系のアルバムを買うとは夢にも思わなかった。まあ、好きならいいや、と。雑食。

SEALの『ベスト・ライヴ・イン・パリ』も購入。ていうかライブ盤でも、ほとんど曲の完成度が変わらねえ!すげー。SEALはちょっと目を離した隙に、これまでのすべてのアルバムの5.1chリマスタリングヴァージョン(ボーナスDVD付)とかを発売してた。な、なんつうアコギな真似を…。でも欲しい…。

トレヴァー・ジョーンズの『亡国のイージス・オリジナル・サウンドトラック』も購入。さすがハリウッド作曲家というか、編曲の重厚さはまごうことなきハリウッド音楽ではあるものの、あくまで曲調は日本映画のそれ。つまりイマイチ印象に残らん!映画自体を観てみたくはなるけど。

ショーン・ペンの『クロッシング・ガード』も購入。1200円!ジャック・ニコルソンにデヴィッド・モースに石橋凌(!)という超フェイヴァリットメンバー。みんなすげえいい演技してるけど、映画としての印象はちょっと薄味だった。石橋凌はジャック・ニコルソンの宝石屋の店員でゲイという役柄なのだけど、なぜ石橋凌なのかはまったく不明。ていうか、日本語吹き替えは田原アルノ。何故!?本人がやればいいじゃない!?

アンドリュー・デイビスの『逃亡者』のDVDも衝動買い。690円!!トミー!リー!ジョーーンズ!!昔はハリソン・フォードしか眼中になかったけど、今改めて観てみると、あら不思議、トミー・リー・ジョーンズの渋さがやけに目に付いたりして。これが年をとるってことなのか?

『ボーン・アイデンティティ』と『ボーン・スプレマシー』が入った『ジェイソン・ボーン・ツインパック』も購入。『アイデンティティ』の方は何度観てもまあまあといった感じですが、続編の『スプレマシー』は傑作。特に、カーチェイスから続くラストシークエンスの美しさは、ハリウッドメジャーにあるまじき出来栄え。そのシーンも含め、そこかしこにインディーズ映画の匂いがあると思ったら、監督のポール・グリーングラスはやっぱりインディーズ出身だった。手持ちカメラはいい味なんだけど、ちとカットを割りすぎなのが難点か。観辛い。あと、『スプレマシー』を薦めようとすると、どうしても話的に『アイデンティティ』も観てもらわなくてはならないので、他人に薦めるのが難しい映画だ。

学校の同級生に借りた『仁義なき戦い』を鑑賞。想像してた以上に面白れー!何かと名台詞の多い映画だけど、一番記憶に残ってるのは「おぅ!おぅ!助けてくれよ!おぅ!おぅ!」という台詞だったりする。

で、まあ撮影中に山ちゃんと遭遇したりしたわけですが、学校の地下室ではバトーに遇ったりもしました。バトーさんには地下倉庫のドアを押さえていただきました。いいひとでした。

7月17日



今日のブン太


キュウリを食べる

ブン太は文句も言わずにキュウリをもりもり食ってるんですが、僕は元医者の同級生とその奥様と普通の同級生と4人で、新宿の駅ビルに入っているエラい高そうな店で酒を飲んできました。ちょっと前にも同じメンバーで、恵比寿のこれまた高そうな店で酒を飲ませてもらっちゃったりして、あの、本当にありがとうございます。胡麻豆腐がすげえ美味かったです。医師免許は偉大だなあ。僕も欲しい。

7月16日



今日のブン太


すごいいきおいで土に潜った

7月15日




命名・菅原ブン太(小道具)

ボブ。ボブは”ロバート”という名前の愛称であり、どこにでもいる非常にありふれた名前である。しかしながら、もしあなたが映画を観ているときに、劇中に”ボブ”という名前が登場したときには、よく注意して欲しい。ボブ、それはすなわち、映画においては即「死」を意味するのだ。

ボブ。これまで映画でボブという登場人物は、それこそ星の数ほど登場している(ような気がする)。しかし、おおむね「ボブ」なる人物が映画の最後まで生き残った例となると、これはなかなかレアなケースであるといえる。例えば、キアヌ・リーブスの出世作である映画『スピード』。冒頭、エレベーターで爆弾魔デニス・ホッパーから人質を救出したキアヌは一躍ヒーローになる。しかし、翌朝カフェに顔を出したキアヌが、顔見知りのバス運転手の「ボブ」と挨拶を交わした直後、ボブの乗ったバスは突如として爆発炎上!ボブはあの世に召されるのである。ボブ。人当たりのよさそうな笑顔と、バスを舞台にしたアクション映画でバスの運転手、しかも主人公の顔見知り。もはや登場した瞬間から死ぬことが運命付けられたも同然である。しかし、もし彼が「ボブ」でなかったら、あるいは運良く生き残れたかもしれない。もし彼の名が「セガール」だったならば、どれだけ激しい爆発でも生き残ることが出来ただろう。否、死ぬ運命であったからこそ「ボブ」であったといえるのかもしれない。最初の犠牲者である以上、彼が「ボブ」なのは必然であったのだ。他にも例はある。トム・クルーズがカタコトの日本語を喋ったり喋らなかったりするヘンテコ時代劇『ラスト・サムライ』にも「ボブ」は登場する。往年の時代劇で斬られ役として名を馳せた名優、福本清三である。彼は捕虜となったトムのお目付け役として付き従うが、一言も喋らないためトムに勝手に「ボブ」と呼ばれてしまう。致命的だ。彼もやはり、ラスト近くの合戦でトムを守って壮絶な討ち死にをしてしまう。もしトム・クルーズが「ボブ」という呪われた名ではなく、「ブルース」とか「アーノルド」、あるいは「ヴァン・ダム」などと呼んでいたならば、ひょっとして彼は運良く生き残れたかもしれない。否、斬られ俳優福本清三であるからこそ、討ち死には見せ場であり、必然的に彼は「ボブ」と呼ばれる運命にあったのだ。彼にもなにがしかの本名があったであろうに、死ぬという前提があったからこそ、トムにボブなどと呼ばれたのだ。他にも例を挙げればキリはない。デヴィッド・フィンチャーの『ファイト・クラブ』でもボブが登場するが、アレだけ過激な映画にも関わらず、実はこの「ボブ」がただひとりの死亡者だったりする。彼がもし「ボブ」でなかったら、この映画で死人は出なかったかもしれない。ちなみに、今観ている『ミレニアム』にも、主人公ランス・ヘンリクセンの元同僚でありシアトル市警の刑事である、デニス・スミドロヴィッチ演じるボブ・ブレッチャーという人物が登場するが、彼もまたシーズン半ばにして悲惨な運命を辿るのである。

ボブ。もうお分かりだろう。ボブという人物が「映画」という媒体で演じるべき立ち位置が、とても儚いものであると。ボブ。そこから想起されるイメージは、「なんとなくデブで、いつもドーナツとか食ってる気のいい奴」という人物像であり、悲しいかな、それは映画において「死んでもストーリーにあんまり支障はないけど、みんなが悲しむ」という絶好の死に役の人物像なのである。ボブ。もしあなたが映画を観ていて「ボブ」という名前のキャラクターが出てきたときは、覚悟しておいて欲しい。彼の命は風前の灯に等しいのだから。







なんつって。

7月6日

わーあ!ブライアン・イーノの新作が!欲しい!金が!金を!誰か!

というわけで、早くも金欠で麻痺しております今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか?何がいけなかったのかな?ディスクステーションで、半額とはいえ『ミレニアム』のセカンドとサードを買ってしまったからかな?ていうか、血を吐きながら代金をキープしているのに、在庫切れとかでいまだ払い込み表すらこないのですが!早く!早く!早く僕に続きを!あと、かねてより観よう観ようと思っていた『24』なんですが、なんと今になって3シーズンセットのトリロジーボックス発売ですって。しかも値段は1シーズンぶん。特典ディスクが付かないとはいえ、こつこつ買ってきたファンの怒りをかってしまったりしないのでしょうか?人間の物欲に限りはないですね。あれ?僕だけですか?

ところで、先日、バイトの帰りにいつも使っている地下鉄に乗ったんですよ。何気なく席に座ったら、目の前にすげえ勢いで喋っている三人組がいまして。ひとりは中途半端な長髪にでかいデイバッグ、ひとりはキャップを目深に被った山下清張りの体型で足元にでかいデイバッグ、さらにもうひとりは眼鏡で俯いたまま一言も喋らないおとなしそうな男で、これまた膝の上にでかいデイバッグ。なんというか、本当に目の前で、しかも本当にでかい声で何事か議論しているので、否応無しに会話が耳に飛び込んできまして。なんか、数値がどうの波及効果がどうの、と難しいことを言っておるんですよ。最初は経済の話でもしてるのかと思ったんですが、なんか端々に「炎」とか「ダメージ」とかいう単語が。ああ、これはアレだ…アレな人たちだ…!しかし、よく観察してみると、なんというか実に不思議な会話なんですね。主に喋っているのは真ん中の長髪氏で、もうなんかこれでもかと「炎」について語っています。それに対して、となりの山下清氏が「そうそう!それで…」と相槌を打つんですが、なんか語っている内容はあんま長髪氏の言ってることと関係ないような。さらにそれに対して、再び長髪氏が語りだすんですが、それもやっぱり山下清の言ってることと関係ない感じ。つまり、二人とも何かに対して熱く語ってるんですが、お互いに言いたいことを言ってるだけで会話になっていない!すると、それまでひとりだけ俯いていた眼鏡氏が突然、黙ったままデイバッグを開けて、中から巨大なプラスチックのケースを取り出し始めまして。中には、なにかのカードがぎっしりと整理されてます。それを見たあとの二人がその中の一枚を見ながら「そう!これが…」と、そのカードをネタにしてまた微妙に噛み合わない会話を始めるという…。うーん、すごいですね。語っているのに会話になっていない、一言も喋らないのに語りのネタを作っている。そして、三人ともそれが当たり前のように自然に振舞っている…。コミュニケーションのようでいて、コミュニケーションになっていない。これはつまり、コミュニケーションの形態をとったディスコミュニケーションであり、「対話」という手段に擬態しつつも結局は一方的な情報の放出に他ならないわけで、それは現代社会における個人間の断絶が…とか考えているうちに降りる駅に着きまして、電車はいまだ熱く語り合う(振りをしている)三人組を乗せてどこか遠くへ行ってしまいました。えーと、まあつまり何が言いたいかといえば、電車の中ではもう少し静かにな。

7月3日

実はですね、ひたすら『ミレニアム』を観ていた期間、つまり先月の終わりくらいなんですが、そろそろ日記止めようかなあ、とか思ってました。まあ、リアルライフが忙しくてネットから遠ざかってたってこともあるんですが、更新できない日記に何の意味があるのか、そもそも、自分の生活をちまちま描写して何か意味があるのか、と。まあ意味なんて特に考えもせず、生存証明と文章を書くということのトレーニングを兼ねて細々と運営してきたわけですよ。自己満足と言ってしまえばそれまでですが、映画を作ろうという身としてはそれこそ陥ってはならない部分だと考えるわけで。まあ、そんなことを感じて、更新が滞りがちなブログも一旦中止して、ミクシィみたいなシステムに移行する意義も感じなかったんでここ一本に絞ったわけですが、ここ自体もまあ結局なかなかはかどらずにどうしようか悩んでたんですがね。そろそろ本業の方に気合入れなくてはいけない時期ってこともあって、日記を排した規模縮小も考えていたわけでして、実際のとこ今もそこんとこはあまり変わらないんですが。しかし、よく考えてみると、日記を書けない一番の理由としては、以前に比べて日々の生活のなかで物事を考えたり、感じたことを表現するという意識が希薄になりつつあるということなのかもしれません。これまでは何事もない一日であっても、何かしら書くことはあったんですがね。そう考えると、ここから撤退するってことはそれこそ思考停止の第一段階なような気もしまして。まあ、とりあえずもう少し以前の心構えに戻って、ここで日記を書くことというのを意識していこうと思いましたって小学生の作文のような終わり方ですね。何が言いたいんだか自分でもよくわからんですが。

幻冬社から新創刊された「papyrus」という雑誌を購入。リリー・フランキーに村上龍に乙武洋匡に安野モヨコに中村勘太郎という、イマイチ何がしたいのか意味不明な雑誌ですが、なんといっても福井晴敏の新作読みきり『インベーダー』が掲載されているという一点において購入。というかそれしかまだ読んでいません。以前飲み会のときに耳にしてはいましたが、まさか本当にインベーダーだったとは…。福井晴敏というと、『終戦のローレライ』『亡国のイージス』といった長編に見られる、ハリウッド張りのアクション描写、浪花節の人間ドラマ、そして主に国防論に重点を置いた現代社会へのハードな問いかけという3本柱によって構成された軍事サスペンス作家というイメージが定着していますが、実はローレライ以前に書かれた単行本未収録短編の2本、『五年目の夜』『真夜中の前哨』という作品がありまして。前者は、防衛庁の秘匿機関を退職後、五年間の監視措置が解かれて晴れて自由になるはずだった男の悲惨な一夜を、後者は同じく彼と米軍が空輸中に落っことした自動制御型新型歩行地雷なるメカとの地獄の鬼ごっこを描いた、もはや現行のサスペンスイメージからは程遠いベッタベタのギャグ作品だったりします。今作『インベーダー』もその系譜であり、文字通り、「外」からの来訪者との交渉を担当する外務省の秘匿部署に勤める男の、まさしく日本版『メン・イン・ブラック』的な作品。文体は長編作品と同様であり、福井氏の特徴である情報を積み重ねていく筆力は確かに存在するのだけど、そうして描き出されるのは、北海道を手に入れるために全身タイツでひたすら踊り狂う”来訪者”や、昼の長寿番組の司会を務める某有名芸能人型の超技術人型兵器といった、ひたすら脱力なユルい世界。それでも、きっちりと現代の社会情勢に対するまなざしは組み込められているところが流石ではありますが。重厚なサスペンスであっても脱力系のギャグであっても、作品の根底に通低するのは飽くなきエンターテイメントへの志向であり、ジャンルを選ばずに面白さを追求する姿勢には脱帽するばかり。

7月1日

ええと…そのぅ…どうも…あの、こんにちは…僕です。あの…すんませんした…。

はい、というわけで、いつの間にか7月でしたね。先月はいったいどうしたことでしょう。この廃墟ッぷりはいったいどうしたことでしょう。先月は20日前後から激烈に忙しくなりまして、ひたすら学校、飲み、バイトのコンボでして。さすがに身も心も財布もボロボロです。バイトでは株主総会で業務が苛烈したり、学校の方では今期の実習で慣れないプロデューサーなどという役職についてしまったばかりに、オーディションで偉そうにふんぞり返るという役目すらこなせず、受けに来てくだすった大学時代の演劇サークルの女優さんを前にして何故か僕の方が緊張でどもっているといった体たらく。ああ、もう無理だ!隅の方で小さく小さくなっていたい…!しかしまあ、実質更新をサボった一番の原因は、これを買ってしまったことなのですが。

ご存知の方も少ないでしょうが、『Xファイル』の製作総指揮クリス・カーターが、同作のサードシーズンくらいに平行して始めたテレビシリーズ。いまさら「ミレニアム」とは死語に等しいのですが、これがなかなか知られざる傑作でして。内容は猟奇殺人版『Xファイル』といった感じで、ランス・ヘンリクセン演じる特殊能力を持った元FBI捜査官が、シリアル・キラーのプロファイルをしながら捜査を進めていくというもの。割とキャラクターものになっていった『Xファイル』と違い、ひたすら陰惨で陰鬱な雰囲気が全編を覆っているという、なんともダークなシリーズ。毎回手を変え品を変え、これでもかというくらいにアタマのネジが外れちゃったサイコさんのオンパレードです。最高ですね。とにかく主人公役のランス・ヘンリクセンが渋く、黒焦げになった死体やらバラバラになった死体やらここでは書けないような死体やらを、眉根ひとつ動かさずに淡々と分析していく様がかっこよすぎです。しかし作品のテイスト上、結末もあまり救いがあるとは言えず、とにかくなんともいえない不安感が後を引く作品。まあそんなわけで、ここ一週間は家に帰るとひたすら猟奇死体と対面しながら過ごしておったわけです。3本も観ればおなかいっぱいで、あとはふらふらしながら寝るという生活。精神衛生上非常によくないですね。しかし、ヌードシーンには異様に注意深いのに、真っ黒焦げの腕やら千切られた舌やらは平気で映すアメリカの倫理規定はいったいどうなっているんでしょうか?

先日さんざん『戦国自衛隊1549』の悪口を書いたんですが、なんとまあこんなことに!江口洋介はえらく喜んでいるようですが、これってつまり、わざわざハリウッドから監督のダメ出しが来たということなのでは!?要は、「監督がクソで編集もヘボだけど、まあ元ネタは面白いから俺らが素材を使って上手くやれば観れる映画になるよ!」ってことでしょう!?いや、まったくもってその通りなんだけど。それにしても、ある種これはスタッフにとっては相当な屈辱だと思いますがね。監督は、なぜオリジナル版で上映されないのかよく考えた上で腹を切るべきだと。ついでに『ローレライ』も結末を原作に近づけて再編集して欲しい。