LIFE LIKE BLUE

Diary Log-2006-02

2月24日

眠い。ロバート・ゴダートの最新刊『最後の喝采』を読了。感想はひとまずおくとして、一連の作品を読んできて気にかかったことがひとつ。

今まで読んできたゴダートはすべて創元推理文庫から刊行されたものだったのですが、この作品は講談社文庫。創元推理文庫の訳者は、処女作の『千尋の闇』の幸田敦子氏を除いて、ほとんどが越前敏弥氏、『永遠に去りぬ』が伏見威蕃氏によって手がけられているのですが、本作を含めた講談社文庫版はすべて加地美知子氏の手によるもの。で、まあ結論から言わせていただければ、これがね、どうにもね、いまいちっつーか。正直な話、創元推理文庫版の『千尋の闇』も、他の作品に比べるといまいちという感想だったわけですよ。この違いが何かといえばですね、こんなこといいたかないですが、男の訳者か女の訳者かの違いなんですね。いや、ゴダートの作品中のプロットのキレとかキャラクターのスタイルというのはどれも素晴らしいものなんですよ。しかしですね、個人的な満足度でいくと、どうしても男の訳者に軍配が上がってしまうんですね。男尊どうのとかいう話はとりあえず置いておかせてもらうとして、これはですね、やはり男女の感性の違いによるものなんじゃねーかと思ったりするわけですよ。

ゴダートの作品に出てくる主人公は例外なくダメ人間です。それはつまり、金はあるけど時間は余ってるとか、あるいは仕事より事件の調査を優先してしまうとか、そもそも働いたら負けだと思ってるとかいうような、ある種なにかにとり付かれ易い人らなんですね。だからこそ、現代社会で一般人たる彼らが探偵の真似事なんぞ出来るわけなんですが、同じダメ人間でも訳者の性別によって、彼らの持ってる芯の強さに差があるような気がしてならないのです。端的に言わせてもらえば、女性によって描かれるゴダートの主人公は、どいつもこいつも女に弱すぎる!『千尋の闇』のマーチンは一度色仕掛けで騙された女に再び騙される!『最後の喝采』のトビーは別れた女房に未練タラタラで、彼女のために事件に深入りして人生を踏み外しかける!いやね、主人公が、女に対する未練だとか執念だとかで事件に関わるのはどの作品でも大体同じで、しかも大体女に騙されるんですよ。それでもですね、男性訳者による主人公たちは皆、どんなにとり付かれても騙されても、その根っこにある「真実が知りたい」という目的意識からは揺るがないわけですよ。彼らは、その出発点が「女」にあっても、いつしかそれを超えた「真実」なるものに突き動かされていくといった描写をされてるんですね。これは、往年のハードボイルド作品にある、「どんな男も結局は孤独によって支配されている」という、ある種のリリシズムとかナルシシズムに基づく思想形態であるのではないかと思うわけです。しかしながらですね、この辺の描き方の違いに、男と女の思考形態の根本的な断裂が見て取れたりするわけです。女性から見たゴダートの主人公像は、ありていに言って「女に振り回されるダメ男」として見なされるわけですよ。「男なんて結局それしか頭にないんでしょ?」的な。だから女性訳者によって描かれる彼らは、女に対して非常にオツムがユルいようにみえてしまう。台詞の端々とか行動描写に、そういったニュアンスを嫌でも嗅ぎ取れてしまうんですよ。どうにもこうにも。その辺が、どうにも僕が主人公たちに対してイラついてしまう原因になっているのではないかと。実際ね、『千尋の闇』のマーチンとか読んでる途中マジお前いっぺん死ねYO!とか思ったりして。

とまあ、だらだらと書き連ねてきたわけですが、このことによって別に「女は男のことわかってねーよ!ビッチめ!」とか言いたいわけじゃなくて、まあ実際、男の頭の中なんざ実際はマーチンくらいのもんなんでしょう。でもね、でも

実際これハードボイルド小説なんだからさ、

男がこうありたいと思う一種の反動的妄想がハードボイルドと呼ばれるもんなんだからさ、ちょ、おま、

それを言っちゃあおしまいだよ…。


…ということだったりするわけで。




このあと残ってるゴダートの既刊書はほとんど女性訳なんで、とてもとても怖いのです。

2月22日

どうも。ひとつ現場終わったのはいいんですが、その後は自分とこの卒業制作、加えて月末までの編集のバイトをいっこかかえてクソ忙しです。にもかかわらず、最近は『ミュンヘン』観たり『ジャーヘッド』観たり『アサルト13 要塞警察』観たりロバート・ゴダートにはまって5冊(上下巻含む)一気読みしたりとかしてました。いろいろ書きたい、でも、ああ、クソ眠いですすげえ眠いですマジ眠いですもうだめです。寝ます。おやすみなさい。

2月12日

普段は狂ったように映画を観てるんですが、自分が映画に関わっている間は全然観なくなったりします。自分の映画からこっち、絶え間なく何かやっているので、今年に入ってからはもう一ヶ月近く映画を観てなかったりします。そろそろ映画館に行きたいなあ。『ミュンヘン』とか『ジャーヘッド』とか。でも金がない。映画とか言ってられないほど金がないです。やばいです。

まあそんなわけで、ここのところの趣味は、音楽とか小説とかに傾いてまして、ハヤカワとか創元推理文庫とかの海外ものを読み漁ってました。駅に出ている露天の古本屋とかで100円とかで叩き売られてる奴ですよ。この辺の文庫は古本だと安い割りに厚みがあるので、読み応えがあっていいですね。ただ、読み出すと止まらない性分なので、しばしば夜を徹してしまうので、本末転倒というか、かえって悪い影響が出てしまったりして。

ここ最近読み終わった本。



ロバート・ゴダート/『永遠に去りぬ』

主人公は欧州共同体の官僚。彼は、そのまま悠々自適の生活を続けるか、兄弟間の確執と先の見えない経営不安のある自分の一族が経営するクリケット会社の幹部になるかを決めるため、趣味である山歩きをしているときに、ひとりの40代の美しい女性ルイーズに出会う。夏の終わりの金色の夕景の中で、自分と同じように何かを決めかねている彼女に共感し、背中を後押しする言葉をかけて別れるが、その後、彼女が無残な殺人事件の被害者になったことを知る。そのとき自分に出会わなければ、という一抹の後悔を抱えた主人公は、彼女がなぜ死んだのかを知るために、証人として警察へ赴き、それ以降彼女の家族である二人の娘と主人らと共に、この事件に関わっていくことになる。
前半から中盤にかけては、すさまじくゆっくりとしたペースで進み、ともすればここで飽きられてしまいがち。しかし、そこをギリギリの巧さでひきつけ、怒涛の展開を見せるクライマックスまで読ませる。こういってはなんだけど、事件としてはそれほどセンセーショナルではない。むしろゴダートの巧さは、執拗なまでに丁寧に描かれる人間の内面に起因する。たった一人の人間の死が、その家族や周囲の人間の後悔、疑惑、誤解を生み、それが何年も蝕み続け、それが基点となって二転三転の展開をみせるプロットはさすがとしか言いようがない。探偵役であるところの主人公は、とにかく周囲の人間に巻き込まれ続け、良かれと思って選択した行動が裏目に出続け、それに後悔し、とにかくまるで頼りにならないわけですが、だからこそ事態が取り返しのつかないところまでいってしまったとき、最後の最後に選択する運命に、思いがけず感情が揺すぶられる。
本来は”見知らぬ旅人”であるはずの主人公が、最後まで事件に関わることとなった最初の邂逅。ところどころに挿入されるその一枚絵のような美しい情景が、最後の最後まで彼を事件につなぎとめている。

2月11日

はい、クランクアップです。イエー。疲れた。日記を放置して存在すら忘れかけていた今日この頃ですが、まあボチボチ再開していこうかな、と思います。昨日から全然寝てないのでテンションは非常に低いです。重いものもいっぱい運んだので手がプルプルします。

今回は学校と関係ないところでの撮影参加だったわけですが、いやね、実に勉強になる現場でしたよ。なんだかんだあっても楽しかったし。警察にナニをアレされたりとかね。ていうか自分で呼んだんだけどね。もう練馬と世田谷では面が割れているので悪いことは出来ないね。まあ、なにはともあれ残り少ない学生生活を全開でいきたいと思います。とりあえず寝ます。おやすみー。

2月9日

なんとか生きてます。

最近の動向

「遊んでいる」などと書かれていますが、実際には製作兼プロデューサー(?)兼録音助手兼雑用なので、ミキサーの音源を聴いているのは立派な仕事なのです。まあこのときは実際遊んでたんだけどな。

そんなわけで、現在は撮影で昼夜入り乱れたシッチャカメッチャカな生活を送っていますので、まったく更新が出来ない状態です。すいません。適当な時期になんとか仕切り直しをしたいと思います。