LIFE LIKE BLUE

Diary Log-2006-05

5月31日

最近近くのコンビニが改装工事やってんですが、その明かりがなくなっただけで夜道がものっそい暗いです。なんか、工事やるのは知ってたんですが、実際通ってみたらその暗さにとても驚いた。電気の無駄遣いだとか思ってたけど、なにげに僕らの生活を明るく照らしてくれてたんですね。ありがとうコンビニ、これからもよろしく。

ジョン・メイブリー/『ジャケット』
スティーブン・ソダーバーグとジョージ・クルーニーによる「セクション・エイト」製作のSFサスペンス。
舞台は1992年。湾岸戦争で頭部に銃弾を受けたものの、奇跡的に一命を取り留めた兵士、ジャック・スタークス(エイドリアン・ブロディ)が、故郷のバーモントに帰ってくる。その道すがら、車の故障に困っている母娘を助けたジャックは、一時心を通じ合わせた少女に自分のドッグ・タグを渡す。その後、ヒッチハイクした車に乗り込んだジャックだが、気がつくと法廷で警官殺しの容疑者になっていた。傷が元で逆行性健忘症になっていた彼は、事件のことが思い出せずに心神喪失と判断され、アルパイン・グローブ精神病院に送られる。そこで医師のベッカー(クリス・クリストファーソン)の実験的な治療を受けたジャックは、奇怪な拘束衣を着せられ、死体安置用のロッカーに閉じ込められる。
そして、2007年。ロッカーの中で、さまざまな記憶のフラッシュバックに襲われパニックになったジャックは、気付くと寂れたダイナーの駐車場に立っていた。仕事帰りのウエイトレス・ジャッキー(キーラ・ナイトレイ)に拾われたジャックは、ジャッキーが事件の前に助けたあの少女であったことを知る。自分のことを伝えようとするジャックだが、取り乱したジャッキーによって、自分がロッカーに閉じ込められた4日後に死んだことを知る。ジャッキーの部屋を追い出された彼は、その直後再び1992年に引き戻される。ジャックは1992年と2007年を行き来しつつ、自分の死の真相を探ろうとするのだが…。
SFを下敷きにしたラブストーリーということで、似たような題材を扱った『バタフライ・エフェクト』との類似性がよく言われているが、個人的には、ハインラインの『夏への扉』を髣髴とさせるものがあった。客観的にみれば、何故タイムトラベルが起きたのか、とか、ジャッキーと恋に落ちる過程が性急過ぎる、といった粗はいくらでもあるのだが、エイドリアン・ブロディのふにゃっとした笑顔や、やけに眼力の強いキーラ・ナイトレイを見ていると、なんとなく説得力を持ってしまう。脇を固めるクリス・クリストファーソンやジェニファー・ジェイソン・リー、そして患者役で奇怪な演技をみせる次期ボンド役のダニエル・クレイグなど、役者のチョイスに救われている部分も大きいような。個人的には、『ロック・ストック・アンド・トゥー・スモーキン・バレルズ』に出ていたスティーヴン・マッキントッシュや、ジャックを乗せるヤバげな運転手役で、このところ名前を聞かないブラッド・レンフロなど、知った役者がチョイ役に多くて楽しめた。ブラッド・レンフロは私生活のゴシップっぷりで選ばれたんだろうか。
監督はミュージック・クリップ出身ということで、主にフラッシュバックのシーンなどで使われるエッジの効いた映像と、ドラマ部分の落ち着いた映像のギャップが効果的でなかなか面白い。それでいて映画を貫く陰鬱で寒々しいトーンは一貫しているので、さほど違和感は感じなかった。
スティーブン・ソダーバーグは、インディペンデントとメジャーの境界を越えるために「セクション・エイト」を作ったそうなのだが、ほとんど名の知られていない監督にこれだけのキャストを集めるのだからすごい。本人も『オーシャンズ11』のようなメジャー作の後に『フル・フロンタル』を作ったりしているのだが、変にインディペンデントというところにこだわらない辺りに好感が持てる。独立系の良作を一人でも多くの人に観てもらうために有名な俳優を起用する、という試みなのだろう。そう考えると、盟友ジョージ・クルーニーの名前を使った「オーシャンズ」にあれだけ無駄に豪華な面子をそろえたのも、すべてはコネクションの土台というソダーバーグの計算を感じる。メジャースタジオを手玉に取る、なかなか恐ろしい製作者だ。
この映画はSFであり、ロマンスであり、サスペンスでもある映画なのだが、結局のところ、ジャックという一人の不運な男のドラマなのだろう。ラストの台詞は人によって解釈の分かれるところだが、そういった曖昧な部分も含めてじわりと暖かな余韻を残す。どれだけ酷い目にあっても、ただ目の前の子供を救おうとし続けるジャックのひたむきさが、最後に救われる。

5月29日

どうも、土日は高円寺をうろうろしたり映画観にいったりしてきまして、気がついたら一週間近く間が空いてた。やべえ、どんどん人生が早くなっていく。急がないと。いや、急いだらダメだ。

金曜に会社の先輩に高円寺を案内してもらったので、駅の北側をだいぶ開拓しました。すげえ美味いタイ料理屋を教えてもらいました。スペアリブを唐揚げにしてしまうというタイ人の発想に完敗です。マジ美味い。あと、コアなビデオしか置いてないビデオ屋とか、コアな本しか置いてない本屋とか、もう高円寺のハードコアっぷりにメロメロです。みんなが褒めるのがわかるわー。

ジェイムズ・マクティーグ/『Vフォー・ヴェンデッタ』
舞台は第三次世界大戦勃発後の近未来、保守党出身のサトラー議長(ジョン・ハート)の独裁下にあるイギリス。国営放送局に勤めるイヴィー(ナタリー・ポートマン)は、ある夜自警団に襲われたところをV(ヒューゴ・ウィービング)と名乗る男に救われる。Vに誘われるままビルの屋上に上った彼女は、突然流れ出したチャイコフスキーと共に、中央刑事裁判所が爆破されるのを目の当たりにする。後日、彼女の勤める放送局に爆弾を纏ったVが現れ、自分のテープを流すよう脅迫する。突入してきた警視庁の刑事からVを助けたイヴィーは、図らずも彼の協力者となってしまう。
なんといっても、Vのキャラクターがいい。ニコチン中毒のコンスタンティンなど、最近は人間味溢れる一風変わったヒーロー像が流行りだが、さしずめVは演説中毒といったところか。劇中一度も素顔を出さないVを演じるのは、マトリックスシリーズのエージェント・スミス役でブレイクしたヒューゴ・ウィービング。本来は別の役者で進行していたのが、撮影に入ってすぐ降板になり、急遽出演が決まったらしい。「おかげで役作りをする暇が全然無くて大変だった」とインタビューで語っていたが、あの独特のイントネーションを持った語り口は、まさしく顔の出ないVにハマリ役だろう。ワンカット中に凄まじい量の台詞が飛び出すが、歌うように語りあげる様は舞台俳優の面目躍如といったところ。仮面のままキュートなエプロン姿で料理したり、イヴィーに恋したものの素直に言い出せなかったりと、まるで少女漫画の主人公のようなヒーローだ。
ウォシャウスキー兄弟がプロデューサーと聞いて、マトリックスのような戦闘シーンを想像した人も多いようだが、実際はVが直接戦うシーンは少なく、むしろVとイヴィーの関係性の変化が主軸といえるだろう。二人のエピソードと平行して、観客の代理人ともいえる警視庁のフィンチ警部による捜査が描かれ、Vの誕生にまつわるエピソードが少しずつ明らかになっていく。悲惨な過去を背負う、歪んだヒーローの人間ドラマとしてみることも出来るだろう。
近未来の独裁国家と聞いて、もっとガチガチのハードコアなものを想像していたのだが、意外にも人々の生活はそれほど極端に規制されているようには見えない。もちろん、ジョン・ハート演じるヒトラー丸出しの独裁者はいるのだが、それはメディアを通じて愛国心を持った政治家として描かれ、抑圧されているのは同性愛や他宗教だったりする。しかし、そういった目に見えない圧力に対して、Vは敢然と抵抗する。確かに、現状に愚痴をこぼしながら漫然と生きる分には平和な社会かもしれない。だが、それが本当の自由なのか、と。それは、ある意味で、9・11以降の今の我々が生きる世界の状況であり、なまじディフォルメされた「独裁国家」などよりも、遥かにリアリティをもって訴えかけてきたりもする。

ところで、ウォシャウスキー兄弟の兄の方は、最近女になってしまったそうだが、いったい何があったのだろうか?

5月23日

今日は半日かけて宇宙戦艦ヤマトのプラモを作りました僕です。仕事です。果たしてこんなんで給料貰ってていいのか?むしろこれが窓際という奴か?そういえば4月の席替えで窓際に移されたしな…。もうすぐ契約を切りますというメッセージなのかこのヤマトは?そう考えるとランナーからパーツを切り離す手も震え、部品一個なくしました。まあいいや。

アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ/『アモーレス・ペロス』
最近ネタ不足でいまいちパッとしないハリウッドの映画監督に代わり、南米出身の映画監督のハリウッド進出がめざましい。アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥという、舌を噛みそうな名前の監督もそのひとり。『アモーレス・ペロス』は彼の長編デビュー作にあたる。
メキシコの街を疾走する一台の車。運転しているのは、兄嫁に恋し、裏切られた青年オクタビオ(ガエル・ガルシア・ベルナル)。もう一台、何も知らずに車を走らせるのは金も名声も不倫の恋人も手に入れ、人生の絶頂にいるモデル・バレリア(ゴヤ・トレド)。そして、何匹もの犬を引き連れ、街を歩いている孤独な老殺し屋・エル・チーボ(エミリオ・エチェバリア)。交差点で二台の車が衝突し、それを老殺し屋が見届けた瞬間から、それぞれの運命が変わり始める。
何といっても、冒頭のシーンの映像が凄まじい。手持ちカメラで荒々しく切り取られたショットは、南米映画ならではの迫力。ざらついた粒子の粗い映像は、闘犬場の熱気や街角の匂いまで立ち上ってきそうなほど。この映画でイニャリトゥと共にデビューした撮影のロドリゴ・プリエトは、監督のハリウッドデビュー作『21グラム』でもタッグを組んだ後、『ブロークバック・マウンテン』でアカデミー撮影賞にノミネートされた。
衝突事故から一転、ストーリーはオクタビオ、バレリア、エル・チーボの過去と現在、そして未来を描く三章立ての展開に。ひとつの交通事故を軸に、まったく関係なかった人間たちの人生を複雑に描き出すストーリー展開は、まさに”南米のタランティーノ”というあだ名を頂戴しただけある。通して観ると中盤のバレリアのシークエンスが退屈だという感想も聞くのだが、確かに最初のオクタビオのシークエンスがあまりにも激しく暴力的なため、なんとなくかすみがちになってしまう印象があるのは否めない。しかし、単独でみれば、絶望からささやかな救いへと至る、静かながらも秀逸な出来栄えであることがわかると思う。若さゆえに突っ走る男を演じたガエル・ガルシア・ベルナルの熱情に満ちた演技も素晴らしいが、やはり後に残る印象では、犬だけを拠りどころに生きる老殺し屋を演じたエミリオ・エチュバリアに軍配が上がるだろう。ラストショットの映像は人生の重みを感じさせる味わい深いものがあった。
荒削りだが、それゆえにストレートにメッセージが伝わってくる力技は、やはり南米という空気によって培われたものかもしれない。タイトルは「犬の愛」という意味なのだそうだが、犬好きの方にはあまりお勧めできないかも。アメリカで制作していたら、真っ先に動物愛護協会から猛烈なクレームが入ること請け合いな映画。

5月21日

先日のトリウッド上映で下北沢デビューを果たしてはや3週間、飲みやらなにやらで結構週イチくらいのペースで通ってたりするのですが、家からだと京王線を乗り継いで15分少々の距離。これはもしや、チャリで行けるのでは?そう思い立ったのはゴールデンウィークのことなんですが、結局出不精が祟ったり雨降ったりでなかなか踏み出せずにいました。しかし、せっかくの日曜日、家でゴロゴロしてるときに、不意に「そうだ、下北沢行こう…」とどこかのCMのように思い立ちまして、ついでに前に古着屋で買ったベルトの穴を開けてもらうために突如出発。この時点で午後6時前くらいだったんですが、まさかあんなことになるとは。

電車で15分といっても、京王線と井の頭線を乗り継いでいるため、直線距離にしてみるとそれほどの距離が無かったりします。下北沢を制覇すれば、新宿・高円寺・中野と、近辺のオシャレスポットをひととおりチャリで走り抜けたことになる!地図で駅までの道をざっくり調べて、着の身着のままで出発…したのがいけなかった!はい、世田谷の路地をなめてました。一応出来るだけ広い道を使ったわかりやすい経路を頭に入れてたんですが、笹塚を越えたところで道を一本間違えたことに気付きました。まあ、とりあえず南に進めば着くだろう、とそのまま直進。自分が親父譲りの方向音痴保持者だということは日々公言しておるわけですが、親父と違って僕は猪突猛進型で余計に性質が悪いということを、いまさらながらに再確認しました。はい!迷った!でもまあ、このときはまだ日もあって、それほど危機感は無かったわけです。途中で行き過ぎたらしいことに気付き、方向修正しながら走ってたらいきなり下北沢駅に出まして、ほっと胸をなでおろしました。しかし、今にして思えばこの行き当たりばったりがまずかった。

ベルトを買った古着屋に行ってみたところ、ゴールデンウィークにはセールと称して3枚2000円だったTシャツが1枚100円に戻ってまして、古着屋のしたたかな値段変動を実感したりしつつ、ベルトを店員に。露骨に困惑する店員に穴を開けてもらって店を出た頃には、とっぷり日が暮れてました。これはひょっとして…という一抹の不安を抱きながらとりあえずチャリを漕ぎ出したのはいいものの、はて、どこから来たんだっけ?うろ覚えなうえに、暗くなってたので景色が全然違う。とりあえず北に進めば何とかなるだろうと思い、愛車を走らせるのですが…。駅周辺は見知った場所でもあり、人通りも多いのですが、ちょっと走ると一気に住宅街。く、暗い!誰もいない!僕が通ってきた道は、買い物帰りのおばさんや犬の散歩をするお父さんといったほのぼのとした休日の午後だったはず。間違っても都市伝説の現場かと思うような細々とした電灯に照らされた道ではなかった。不安になって引き返すものの、そもそも今どこを通ってきたかすら定かではなく、なんとなく間違ったことになっている感覚だけがつきまとう。目印になるようなものが無く、知っている道路も無い。せめて地図があれば…。ここにきて、自分の無謀さに腹が立つものの、今はそんなやつでも家に連れ帰ってやらねばならない。途中でコンビニに寄って地図を探してみても、あったのは「災害時の帰宅ルート」なる書籍のみ。何故、災害にあってもいないのに、こんな本を見る羽目になっているのか。しかし、この本に書かれているのは、主要な道路を目印にどうやって帰宅するかであり、そもそも自分がどこにいるかもわからないような人間は死ねばいいというスタンス。全然役にたたねぇ!

とりあえず、勘で走っていくと駅が見えました。やった!これで大体の場所がわかる。で、近づいてみると…「駒場東大前」。逆じゃん!やばい、どんどん渋谷に近づいてる!東大に用は無いし、そもそも僕が入れるような学校ではない。わかったのは自分がアホだということだけ。とりあえず、間違いなく取り返しのつかない方角へ一直線だということだけがわかりまして、あわてて今来た道を逆戻り。半泣きになりながら暗い道を走っていると、今までの路地とは違うちょっと交通量の多い道に出ました。道路標識を見ると、直進すると環七へ。やった!これで帰れる!ここ最近でこんなに嬉しかったことはないです。ていうか、いい年こいて迷子になること自体どうかという気もしますが。

まあ、そんなこんなでほうほうの体で帰宅できたわけですが、今日はほんと焦った!下北沢にいたのは30分少々なのに、帰ったら10時前。とんだ大旅行になってしまった。これからは常に地図と方位磁石を携帯して生きていきたいと思います。ちなみに、迷わずに行ったらたぶん15分から20分くらいだったと思います。期せずして、渋谷も走行圏内だということがわかったので、いつか行ってみたいです(懲りない)。

5月19日

先日は専門時代の同級生と飲みまして、3人で軽く1万超えてしまって手痛いダメージを受けたりしました。読み違えた。早く給料日が来ないかな。

先島さんマジかっこいい。あと、第四紀連の骸骨と鳥と箱(?)の人(?)たちの侠気に涙。アブラノの親父とか、最近の弐瓶勉は周りのキャラクターがいい味出してるなあ。間を置かずして、ウルジャンで『バイオメガ』の連載再開も決まって、個人的に集英社の株が上がりまくり。

5月17日

先日は、某映画の打ち上げのセッティングという仕事をしまして、その実何をやったかといえば盛り上がるスタッフ・キャスト・関係者の背後で仁王立ちしてみたり、こっそり料理をつまんだりとかそんなんでした。しかし、その甲斐あってか、柱の陰のテーブルで向かい合ってぼそぼそと料理を食べる田中要次と温水洋一という、(悪)夢のような光景を目にすることが出来ました。

帰ってから、おみやげにもらった料理の残りと、一ヶ月ほど前にもらった別の作品の打ち上げの残りのビールで一杯やりながら『バタリアン2』を観て馬鹿笑いをしてたら、翌日寝過ごして遅刻してしまいました。これが5月病という奴でしょうか。ちょっと違う気もします。なにはともあれ、遅刻は良くないことなのでこれからは気をつけようと思いました。

ケン・ウィーダーホーン/『バタリアン2』
子供の頃、祭に行くと必ずお化け屋敷のテントが立てられていました。その周りでは、呼び込みのおっさんが「怖い怖いお化け、怖いけど楽しい、面白い、面白いお化けがいっぱい」などと声高に口上を述べていたものですが、当時子供だった僕は、「お化けが面白いなどということがあってたまるか。奴らは恐怖そのもの。そうやって我々無知な子供を騙し、ガッポリ儲けようという魂胆なのだ。ファック!」と幼心に思ったとか思わないとか。とにかく、毎年お化け屋敷のテントが張られるその一角は、僕にとってどんな心霊スポットよりリアルな恐怖を掻き立てていたものです。
あれから十数年がたち、僕もいつしかあのお化け屋敷の存在を忘れ、たまに見る心霊写真やホラー映画に肝を冷やす程度になっていたのですが、久々に観たこの映画で、あの日の感覚を思い出しました。「面白いお化け」とはいったいなんだったのか。つまるところ、それがなんなのか非常に興味があったものの、怖くて近づけなかったため、最後まで入ることの出来なかったあの日の答えがここに。
新興住宅の建設が進むとある郊外。軍のトラックが、死体をゾンビ化するガスを運送中に、そのひとつを落として走り去った。近所に住むジェシーら3人の少年がそれを発見し、ジェシー以外の2人がそれを吸い込んでしまう。一方、流れ出したガスは雨によって地中に流れ込み、それは墓泥棒に来ていた老人とカップルの下にも押し寄せる。
例によってもらい物のDVDなので、「1」は未鑑賞。なぜこうも「2」ばかり観る羽目になるのでしょうか?とりあえず、前作と繋がる要素は特になさそう。ホラー映画とは言いつつ、そこらに笑いを誘う変な仕掛けがあり、グロテスクなゾンビたちもどこかファニーな感じ。墓場から出ようとして他のゾンビに手を踏まれ、悪態らしき言葉を呟きながら出ようとしたら、今度は頭を踏まれて土の中にめり込む、といったベタなポイントがいちいち笑えます。展開がわかるんだけど、あまりにツボをついてくれるので、それが逆に快感になるというこの感覚、どこかで味わったような…。ああ、そうだ、ドリフだ!ドリフのコントを観るときに近い!
脳みそをむしゃむしゃ食ったり、バールのようなもので殴られて黄緑の液体を撒き散らしたりするゾンビたちは、限りなく食事との相性は悪いのですが、どこか憎めない愛嬌があります。ネットでの評価を見ると、「前作そのままの凡作」「ベタ過ぎて寒い」といった散々な評価が並んでいるのですが、「1」を観てない身としてはビールのお供としてとして普通に楽しめました。愚作と呼ばれる続編は、単体として何の知識も無く観たら結構いけるのではないかという気がしてくる今日この頃。まして、「1」の方が評価がいいというのであれば、順番を逆に観た方が2度楽しめるのではないでしょうか。「続編はダメだ」といわれる作品の新しい観方として、今後周囲に提唱していきたい理論です。

5月14日

今日は母の日ということでしたが、今まで我が家には誰かを敬うというイベントが存在しなかったため、今年もスルーでした。しかも、逆に食料の入ったダンボールが実家から送られてくるという体たらく。本当ならカーネーションのひとつも送ってあげるべきだったんだろうなあ。でも、「そんなものに金を使うな!」とか怒られそうだ。

そんなわけで、昨日は大学のサークルの皆さんと国分寺の後輩の家で鍋をやってきました。そろそろ季節外れな感も否めないイベントですが、体よく昨日は雨降って寒くなり、なんとも鍋日和な感じでした。TIGER氏の仕切りだったはずなのに、家を提供しなんかいろいろダシをとった鍋を用意してくれた桑田ペー助。君に感謝です。そんな僕はずっと『団地ともお』を読んでいたのですが。結局朝まで居座ってしまって、本当にすんませんでした。でも、みんなが豆の素晴らしさを知ってくれたので良かったです。

夜中に買出しに行ったコンビニでなぜか買ってしまったバイオハザードのフィギュアで、ダメな母の日を贖罪して今日は終わり。



このバカ息子!   わあ!

5月12日

唐突で恐縮ですが、今、小西真奈美が好きです。ヤバイです。メロメロ(古い)です。事の発端は、仕事で『blue』という映画を観たことなんですが、そこに出てる小西真奈美のかわいいこと!ヤバイです。そこはかとなくいまさら感がありますが、とにかくいいです小西真奈美。僕の好きな村山由佳の『天使の卵』の映画化で、ハルヒ役が小西真奈美と知ったときにはあまりの嬉しさに小躍りしました。早く観たいです。ただ、村山由佳の映画化は『きみのためにできること』で一度懲りてるのですが。どうでもいいけど、今年は「ハルヒ」という名前をよく聞きますね。流行りか?

キース・フルトン・ルイス・ペペ/『ロスト・イン・ラ・マンチャ』
<お詫び>先日『フリークスも人間も』を観る!と公言しておきながら、たまたま手に入ったこちらを先に観るという結果になってしまったのは、ひとえに僕の意志の弱さによるものです。『フリークス〜』を楽しみにしていた皆さん(なんているか?)、すいませんでした。
DVDが一般化してから、特典映像でメイキングがつくことは当たり前のようになっている昨今ですが、これは世にも珍しい「完成しなかった映画」のメイキング。これまでカルト監督として名高かったものの、最近では『ブラザーズ・グリム』のヒットが記憶に新しいテリー・ギリアム監督が、『ブラザーズ〜』の前に作ろうとした超大作『ドン・キ・ホーテ』。ヨーロッパ史上最高額となる50億円を投入し、ジョニー・デップ、ヴァネッサ・パラディ、ジャン・ロシュフォールという名優を揃えたこの映画にいったい何が起こったのか?
前提として我々は「完成しなかった」という情報を得ているわけで、いかに壮大な映像で始まろうともその末路は知っているわけですが、それを差し引いてもこの内容はスリリング。特に、一度でも映画制作に携わった人間にとっては、撮影準備が整って、さあ回すぞ、という瞬間に飛行機の音が…といった身につまされる経験から、突然の豪雨で出現した濁流に機材がプカプカ浮かんでいるといった悶絶モノの光景まで、ある種恐怖映画といっても差し支えの無い内容が満載。キャッチコピーには「喜劇か?悲劇か?」という文句がありますが、個人的には悲劇そのもの以外の何者でもありません。とてもじゃないけど、笑えない。
特に、冒頭では膨大な資料と自身の絵コンテに囲まれ、満面の笑顔で「これはすごい映画になる」と無邪気に笑うギリアムの顔が、撮影を追うごとに次第に引き攣った笑いになっていく様は、観ていて辛いことこの上ない。そんな監督のTシャツの胸には「鼓童」と漢字でプリントされているのが、これまたなぜか妙に痛々しい。混乱したプリ・プロダクションから、悲惨な撮影現場、そして緊迫感に満ちたスタッフ・プロデューサー・映画保険代理人のミーティングまで、カメラは冷徹に切り取っていく。確かに数々の悲劇に見舞われたこの映画ですが、結局のところ最終的に映画のすべてが瓦解する瞬間の引き金になったのは、監督の「もう何もイメージが浮かばない。これ以上は無理だ」という敗北宣言に他ならず、それを言い放ったテリー・ギリアムの悲痛な表情は涙無くしては観れません。
まあ、一般の観客が観る分には、実際の映画制作のプロセスや面白いように転がり落ちていく現場の雰囲気、そして「映画が情熱のみでは出来ていない」という現実を知る上でこれ以上の映画はないでしょう。僕が知っている上で、これほど怜悧な目線で作られた映画のメイキングは、他に『ジェヴォーダンの獣』の特典のドキュメンタリーくらいなものです。そういう意味では、知らない世界の一端を垣間見る『ダメプロジェクト・X』的な楽しみ方の出来る一枚だと思います。
断片的につながれた本編フィルムは確かに面白そうで、いつの日かこの映画が真の意味で完成することを願わずにはおれません。そのためにも、ぜひ皆さんテリー・ギリアム監督最新作『ローズ・イン・タイドランド』を観に行きましょう(宣伝)。

5月10日

定期って途中で降りてもオッケーなんですって!しかも途中から乗ってもオッケーなんですって!ヒャッホゥ!すごいぜ定期!これで方南町〜赤坂間は乗り放題だ!新宿も新宿三丁目も新宿御苑も四谷も僕の庭!やったね!

…まあ、あれか?いまさらっすか?すいません、いい年こいて定期ごときで舞い上がったりして。教えてくだすった先輩方も半ば呆れ顔だったので、これからはもう少し大人になろうと思われます。頑張ります。今日は、予定では、先日先輩がなぜか突然帰り際に貸してくれた『フリークスも人間も』を観て感想書こうと思ってたんですが、ちょっと無理でした。ずっと観たかった映画で、何故突然僕の手の中に転がり込んできたのかわからずもすげえ嬉しかったんですが、これは相当気合入れて観ないと翌日出勤できなくなってしまうかも知れんので。明日。明日観ます。元気だったら。

5月8日

生まれて初めて定期というものを購入しました。高校のときは電車すら走っていないど田舎で、ひたすらチャリをこいで峠越えし、大学に入ってからはアパートから学校まで徒歩5分。それが、赤坂に通勤するために定期を購入するまでになったというのは、なんとなく感慨深いっすね。思わずまじまじと眺めてしまいました。これ、途中で降りたりしても大丈夫なのかな?

ジョー・バーリンジャー/『ブレア・ウィッチ2』
ドキュメンタリーとフィクションの境界を曖昧にしてヒットした『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の続編。パーキッツヴィルの森で3人が消えてから1年後、映画のヒットにより実際のパーキッツヴィルには興味本位のツアー客が押し寄せ、住民は困惑している。そんな中、ブレア・ウィッチグッズをネットで販売し荒稼ぎした住人の一人ジェフは、心理学研究者スティーブンとその彼女トリステン、自称魔女のエリカ、そして一風変わった映画ファンのキムという女性を連れて「ブレア・ウィッチ・ハント」というツアーを開催する。連続殺人鬼宅の廃墟で一夜を明かす彼らだが、翌朝目覚めると設置してあったビデオカメラがめちゃくちゃになり、彼ら全員がある時間から一切の記憶を失っていた。
前作『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』は、飲み会の席で観始めたものの、あの手ブレカメラに誰もが悪酔いし、開始3分少々で停止。それ以来観てなかったりします。なので、「1」に関する知識はほとんど無し。じゃあ何故2を観たかと言えば、タダで貰ったからに他ならないわけですが。
最初はその辺が少々不安だったのですが、とりあえず引き続き登場するキャラクターも、続いていそうなネタもなさそうな感じ。一応、冒頭に「ビデオカメラの映像から再現した映画である」といった、セミ・ドキュメンタリー的な謳い文句があるものの、それ以降はほぼ普通の映画と変わらず。途中途中に彼らの回す手持ちビデオ映像が挿入されるものの、大部分はきちんとカット割された35ミリ撮影。むしろカメラが安定している分、こちらの方が安心して観れます。
序盤は、ツアーに出た彼らが人里離れた村の雑貨屋でビールを買い漁ったり、焚き火を囲んで馬鹿話をしたりと、これでもかと押し寄せるB級ホラーの予感に少々不安になります。しかし、森で不穏な一夜を過ごして以降、舞台がジェフの住む廃墟を改造した家に移ってから、作風はホラーから心理サスペンス調に。情緒不安定になった登場人物たちが奇妙な幻覚を見始め、何が現実で何が妄想なのか、誰が正気で誰が狂気なのかという、密室劇の様相を呈して緊迫感を煽ります。全員が記憶を失っている空白の時間に何があったのか、そしてジェフがかつて精神病院にいたことや、彼らと同じ夜ツアーをしていたハイカーが惨殺死体で発見されたりといったネタも徐々に明らかになり、怪物やら魔女よりも人間の怖さを描き出す展開になっていくあたり、サスペンスとして普通に楽しめたり。
映画の導入として前作を物語の取っ掛かりにしてはいるものの、実のところ「2」は前作の熱狂的ヒットを逆手に取った心理スリラー。前作では「手持ちビデオ」というガジェットがフィクションとドキュメンタリーの綱渡しに使われていたのに対し、「2」ではフィルムとビデオによって主観と客観という「見え方」の違いを描き出すという使われ方に巧さを感じます。変に前作の謎解きを期待するよりも、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』という映画のヒットを土台にしたいちサスペンス作品として楽しむのが正しい観方かも。



<以下微妙なるネタばれ!>

蛇足かもわからんですが、ぶっちゃけ森で目覚めたとき、機材だの資料だのが目茶目茶になってたのって、それマリファナだのアルコールだので君らがはっちゃけすぎただけでは?とふと思ったのが、諸々含めた映画全体のオチだったときには軽く衝撃を受けたり。まあ途中の幻覚云々があったとしても、ちょっとわかりやす過ぎたかも。クスリ、ダメ、絶対!という壮大な教育映画…だったのか?

5月6日

あーGWが終わってしまう。仕事始まったらアグロとはしばらくお別れだな。10体撃破。カメの奴はぱっと見かわいいのに、すげえ敵対心むき出しで焦りました。口から弾吐きやがる。なんか悪いことしましたか僕。

まあそんなこんなで、ゆるゆると寝たりゲームやったりして順調に連休を消化してきましたが、いよいよ明日で終わりですね。今日は高校時代の友達が浜松町で結婚式に出たついでに遊びに来たので、一緒に下北沢に行って古着屋を回ったりしてきました。高校時代の友達はほとんど地元で働いてるのですが、なんか聞くところによると同じ部活だった女の子が結婚してたらしいです。しかも2年前に。2年前…っておい!しかも、もうすぐ2歳くらいになる子供までいるらしいです…って!!子供まで!?全然知らなかった!!いやもうビックリですよ!よくよく考えたら、僕と同級生ってことはもう25ですから、そろそろそういう人が出てきてもおかしくないんですよね。自分を含め、周りの人間が誰一人そんなまっとうな人生を歩んでいないので、ついつい忘れがちですが。うぁぁ、今度会うときどんな顔すればいいんだ?ひょっとして、寝たりゲームしたりしている場合ではないのでは?

トニー・スコット/『ドミノ』
アクションバカ一代、トニー・スコット監督の最新作は、実在の女賞金稼ぎドミノ・ハーヴェイの伝記映画。彼女は、先日『クライシス・オブ・アメリカ』というイモい邦題でリメイクされた『影なき狙撃者』などに出演している名優ローレンス・ハーヴェイの実娘であり、自身もモデルとしてショービズ界で活躍しながらも、突然その生活を捨て賞金稼ぎというアウトローな世界に飛び込んだという、変わった経歴の持ち主。伝記というとカタい映画を想像しがちですが、そこはトニー・スコットが監督という時点でただの伝記モノになろうはずもなく、『ドニー・ダーコ』の脚本家リチャード・ケリーか加わったことにより、かなりのストレンジ映画となっています。
映画は、FBIプロファイラー・ルーシー・リューの取調べを受けるドミノ=キーラ・ナイトレイのシーンからスタート。彼女たちの語りによって、1000万ドルの現金輸送車強奪に端を発した事件のあらましが、時間軸を変えながら明らかになっていくという構成。農場での銃撃戦から突如としてドミノの過去にとび、彼女が賞金稼ぎになる経緯やら、その世界で徐々に頭角を現していくさま、そして複雑に絡み合った人間関係が描かれる。ドミノ・ハーヴェイの伝記映画とは言いつつも、中心になっているのは1000万ドルをめぐるゴタゴタであり、そこに絡んでくる登場人物も半端ではない。しかもそれが前後して入り乱れているので、ともすれば一瞬で話がわからなくなる可能性もあるのですが、トニー・スコットが『マイ・ボディガード』で手に入れたテロップの効果的な配置法を使ったりして工夫されてます。
とにかく、事件が複雑な上に、「起こらなかったこと」を映像化するという映画ならではの手法も取り入れたりして、映画としての構成の複雑さは『シリアナ』に匹敵するほど。一瞬でも気を抜くとあっという間に置いていかれます。単にドミノが大暴れする映画ですらなく、当初脇役に思えた人物が思わぬ形で事件に関わっていたりして、中盤を過ぎてからようやく、この映画が実はひとりの人物の伝記映画などではなく、「実在の人物を使ったクライム・アクション映画」なのだと気付きました。
とにかく、そういった遊び要素の強い映画なので、ゲスト出演者も非常に多い。『ビバリー・ヒルズ高校白書』の人気主演二人が本人役で登場したり(しかもカメオ出演などではなく、なんだかんだで事件の最後まで一緒)、人気番組ジェリー・スプリンガー・ショーが劇中で出てきたり、中盤では驚くべき某アーティストが唐突に出てきてストーリーを進めたりと、もはや伝記というよりメタ・フィクションに近い。逆に言えば、それがわかってないと途中まで何が面白いのやらさっぱりだったりもします。
そんな複雑な構成に加えて、さらに驚くべきはその映像。トニー・スコットは『エネミー・オブ・アメリカ』あたりから早回しのような映像に凝り始めたと思ったら、それ以降怒涛のように実験映像を使い出し、本作でも意図的にフレーム数を落としたり多重露光を多用したりと、もはや御年60を超える人間が撮ったとは思えぬアバンギャルドさ。ほとんどのカットがコンマ5秒以下!日本の60代の方が観たら泡を吹いて失神してしまうのではないかというスピードです。年とともにどんどん先鋭化していく映像センスには頭が下がるばかりですな。
そんなこの映画、実は企画から実現まで12年の歳月がかかっています。新聞に載ったドミノの記事を読んだトニーが彼女に会ってから12年、ようやく実現した彼女の映画ですが、ドミノ・ハーヴェイ本人は映画完成の2ヶ月前に35歳の若さで急死。劇中では最後のワンカットにちらりと出演していますが、メチャクチャかっこいい女性でした。映画としてはぶっ飛んだ代物ですが、それゆえに彼女の最後の笑顔が妙に悲しい、なんともいえない不思議な後味を残す映画でした。